2015年10月4日日曜日

介護小説


余命世界一の日本人の老後は長く、
少子化でもトップ10に入る国な上に、移民や難民には扉を閉ざしている鎖国な状態ですから、ふと周囲を見回すと、ほんとに老人ばかりになってます。

先日、姫野カオルコさんの『風のささやき』の電子版を読みまして、深く考えこんでしまいました。

姫野さんは、ご両親が遅い結婚をして生まれたひとりっ子で、父方母方の伯父叔母が独身だったり一人暮らしであったため、親族を看取ることになったのだそうです。

その長い長い介護生活で、知りあった介護仲間たちの生活実感を、その人の「つぶやき」という形でサラリと流した掌編集です。
すべてに共感してしまいました。

わたしも、この掌編集のなかに登場する人々と同じようなことを、介護中に感じておりました。
わたしの介護は数年前に終わりましたが、終わったあとも、ずっと引きこもってます。
旅行とか飲みにとかいけないのです。

直接家でみてなかったときも、いつ病院から電話がかかってくるか、本人から緊急コールがくるか、ずっと緊張しておりましたので、その型みたいなものが外れなくなってしまったのです。
病人をおいて外で自由にしているときの罪悪感が、その義務がなくなった今も、消えません。

自分で自分を縛っているのだとわかっているのですが、自由になれないのです。




『風のささやき』の最後の「三十六年」は、同居する祖父母、叔父さん、叔母さん、父、母とみて、独身のまま50代になった男性のつぶやきです。この方の話が、自分のケースとよく似ておりまして、まるで自分がつぶやいたのではないかと思ったほどです。
この方が、糖尿病にかかったお父様について述べられている部分などとくに。「あ~同じだ」と声がでましたね。

うちの父も糖尿病だったんですが、これは兄が障害者であったことの鬱屈が原因でもありました。
酒を飲んで、子どもを殴ってうさ晴らしするわけです。
医者のいうことなど、一切聞きませんでした。医学教科書の症例通りに悪化していきました。

まあしかし、兄に障害があったからこそ、わたしは生まれたのですけどね。介護要員として親が作った下の子ですから。
10歳のとき、わたしは母親を問い詰めて、そのことを聞きだしました。そのときの、暗澹として気分は忘れられません。「もう死のうか」と思いました。
納屋にいい梁があったので、そこで首を吊るつもりでした。

ただ、前触れもなく死ぬのも母親に申し訳ないので、「わたしが死んだらどうする」と聞きましたところ、母は「毎日思いだしては泣き思いだしては泣きするよ」といいまして、やめました。

父親が脳卒中で倒れる前は、毎晩飲んだくれては殴りますので、わたしは二階から飛びおりて逃げて、外に止めてある車の中に隠れてました。
夏のあいだはいいのですが、冬になると本当に寒くて凍えました。
深夜、父親が寝ると、母が探しにきてくれて家に帰るのです。
しかし、身体が不自由で、二階から逃げだせなかった兄は毎晩ひどい虐待を受けまして、心が壊れてしまいました。

父が病院に一年寝たきりで亡くなったのは高校2年のときです。
母が重い肝硬変にかかったのは二十代の半ばでした。
癌宣告も受けました。
母を見取り、遺産分けなどして、兄が生活できる基盤を整えました。
で、わたしは結婚のために東京にいきました。
子どもが生まれてまもなく、郷里の隣の市の高利貸しから電話がかかってきまして、兄が「妹を連帯保証人にして金を借りたい」といってきてるというのです。

生後3ヶ月の娘を夫に頼んで愛媛に帰りました。
高利貸しと話しをつけ、ほかにも借金がありましたので、片づけ、家を貸していた人に迷惑をかけないように買ったことにして名義を変更し、兄からお金を借りていた人には返してもらいました。
修羅場でした。

そのあと、わたしはひどい欝病にかかりまして、新聞が読めなくなりました。本も読めなくなりました。人と話していても、処理能力が落ちているので、苦しかったです。
子どもと親同士ででかけても、自分の子の居場所がわからなくて、置き去りにしてしまったこともあります。

兄の遠距離介護は10年ほど続きまして、子育てをしながら仕送りをするので、わたしは毎日カツカツの生活をしてました。
ついに一人暮らしは不可能ということで東京に引き取って本格的な介護生活にはいりました。

その兄も亡くなりまして、悔いだらけです。
もっとコネがあればよかったのに、と思います。
政治家のコネや偉い人のコネがあれば、馴染んだ地元の治療施設にはいれたのに、と今でも悔しくなります。生まれたときから兄が深く根を張った地元から、生木を引きはがすようなことをして東京につれてくるようなことはしなくて済んだのに…。しかし庶民にはどうしようもできないことでした。

いずれわたしも、他人の世話になるときがきますけど、毎日歩き、脳が老化しないようなことを心がけて、できるだけポックリいけるようにがんばってます。


介護小説は、国内の有名なものは調べればすぐでてくるでしょう。

アメリカだと、リチャード・パワーズの『エコー・メイカー』(事故にあった弟の面倒をみるために田舎町にもどったヒロイン)、
あと人工透析を自宅でやっているため、悲惨な話がしばしば登場するミステリー。
『シンプル・プラン』も知的障害のある兄と健常者の弟の話でした。
わたしには身を切られるような話でした。


2 件のコメント:

  1. うちの息子は発達障害です。小5の時わかりました。
    その時 息子が頼れる妹・弟を 今からでも産もうか?と 一瞬考えました。
    ですが キャメロン・ディアスの「私の中のあなた」を思い出しました。
    この映画を見ていないのですが 内容は知っていました。
    生まれた子が 必ず 力になってくれる保障は無いし 生まれてきた子も
    苦労すると思うと やはり こんな方法は良くないって思って 消し去った考えでした。
    やはり それで良かったんだと 今も思います。

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    1. りこ様
      後悔がなかったことが何よりだと思います。
      「ゲームでいえばハードモード」と自分にいいきかせてきたのですが、うちの親にとってはスーパーハードモードだったろうと思います。一人に全精力を注がないといけないのに、他の子もまともに育てなければならないって、大変ですよ…。

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